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一日に作る笹かま、何個?

想像できそうで、
想像できない。

それは、
小島さんで一日に作る蒲鉾の量です。

見当がつかないので、
以前に、専務に聞いたことある。

答え・・・、
はっきりと具体的には教えてもらえませんでした。

解ったのは、
10万個には足りない数ということ。

ここからは、
想像ですが、
多分、
この12月のような繁忙期には、
10万個近く、もしくはそれ以上作ったりしている。

これが私の見当です。


それにしても、

仮にです。

10万個の半分、約5万個を作る、
ということにしても、

原料の仕込みから、
焼き上げまで、
お昼前にやるのは凄い事だと、
あらためて思う。

なにぶん、

笹かまぼこは、
人の手を介さないでは作れない商品です。

原料の進歩、
包装の機械化がすすんでも、
作る工程には必ず人の手が必要です。



それこそ、

キチジのさばき作業から、
手作業でやっていた頃。
そのころは、
今とは比べられない忙しさだったのだと思います。

前に、
専務が言っていましたが、
若いころは、
午前4時から、
次の日の午前3時まで働いていた。
とのこと。

そうです、
寝る時間、いいとこ「小一時間」
といったところですね。

「あんどぎは、ねんのもおしがった、おもせがったなや」
(あの頃は寝るのも惜しいほど、仕事が楽しかった)
と、
よく専務は言っていました。

朝の4時→魚の仕入れ(セリですね)
これを考えれば納得できます。

時代としては、
今のマリンゲートの辺りに、
塩竈魚市場があった頃なので、
昭和の30年代になります。


はなしは、
少し、脱線しますが、

当時、
専務は若年です。若僧です。

魚のセリに参加する免許はあっても、
青二才には、
魚市場の世界は、
ちょっとばかり厳しい世界だったそうです。

弱肉強食とまでは言いすぎですが、
それなりに、
いろんな意味で、
認められないと、
魚を良い具合に仕入れられない。

という事は、
商いとしての、
笹かまぼこ稼業も軌道に乗らない、うまくいかない。

昭和の30年代までは、
そういう世界だったそうです。

お立場や役職などは、
明確に教えてもらっていませんが、

塩竈の魚市場には、
いわゆる、
「親分」と呼ばれる、
権力者がいたそうです。

専務の話だと、
人情深く、
粋なひとだったとか。

専務と、
お兄さん(現社長)
は、
お母さんの人徳と、
本人たちの性格の良さから、

その親分に、
ずいぶん可愛がってもらえたそうです。

魚の仕入れの事のみならず、

チリ津波で、
大打撃を受けた時なども、
ずいぶん、
助けていただいたようです。

「いま、あいなおどごまえなひといねおんな」
(今の時代は、ああいう男らしいひといないなぁ)
と言っていました。

「海に人にありがとう」

やっぱり、
人とのつながりなのだなと思います。


一日に作る蒲鉾の数?

が本題でした。



今度は、
正確な数を聞いて来ます。

もしかしたら、
企業秘密かな・・・。










塩竈の事、笹かまぼこのこと、多くの人に知ってほしいので、
お情けでもいいので、1拍手お願いいたします
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Author:社とさかな大好き
社と魚の町塩竈の話、笹蒲鉾やお寿司の話を中心に日常の発見などを記していきます。

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